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移住・定住

そして今の暮らし

 ここに住んでからの僕はというと、朝6:00起床。家族全員で朝食を食べて、7:30に出勤。(当時小3だった長男は、すでに高3。部活の関係で、ときどき朝食に出席しない。) 仕事を終えて帰宅するのが、夕方5:30。愛犬の散歩を済ませてから夕食。この夕食が7:00前。どうです?早いでしょう?外が明るいうちの夕食は、就寝までの時間がたっぷり取れて健康的にも良いことづくめ。

 ここで暮らし始めてから、いろんな変化がありました。まず僕の心の変化が一番大きいと思います。家庭の素晴らしさ、家族と一緒に過ごす事の楽しさと大事さを、改めで実感できて、それが“仕事”の捉え方も変えてしまったらしいんです。つまり会社で仕事をするというのは、家族の衣食住を保証するための生活費を確保するための作業。家庭と仕事はどちらも大事ではあるのですが、微妙に家庭の方が先んずると捕らえるようになったのです。家庭と仕事の関係は同時進行的に進むべきという意見が多いと思いますので、これに関しては恐らく『それは甘い!』と叱られるかもしれません。しかし右肩上がり志向の今までの僕が、ここまでの気持ちになれたという事は、大きな大きな私の変化なのです。

 それまでの僕はと言えば、家庭はママに任せっきり。父親が必要な時もあったはずなのに、ママが一人で頑張ってきた。PTAの集まりや地域の催し物、子供の部活動へのバックアップなど、ママだけでは本当に心細かったろうと思う。それが今では僕も子供と一緒に学校活動にも参加するし、調理や掃除もするようになった。しかもそれが楽しい。子供の心がデリケートなのも、改めて理解できた。上の子はもう高校3年生だけど、下のチビちゃんはまだ小4と小6。この年代は見聞きする事に、本当に素直に敏感に反応します。頭や手に触れながら、いろんな話をしてあげると、まっすぐに僕を見て聞いてくれる。こっちがいい加減だと、すぐ見抜いてそれが態度に現れる。子供は凄いです。

 ママ自身はどうかというと、少女時代に不遇な時期があって、その時の影響か、ときどき陰にこもるときがあったんだけど、元来がおおらかな人だから、本来の自分を取り戻したように、とても伸びやかで、横浜にいた頃とはずいぶん変わった。最近は秋田弁も板についてきて、友達も増えて結構楽しそう。

 学校は児童数が少ないせいか、先生、児童、家庭の距離がすごく近い。学校行事には父兄の参加数がとても多いです。子供に対する愛情の現われでしょう。これが当然の姿なのに、この事に気づくのが僕の場合は遅かったんですね~。授業参観も、ちょっと間違えばレクリェーションになってしまいそうな感じです。先生達もトゲトゲせず、多少の事は笑いながら見過ごします。そういう雰囲気が田舎の常識なんでしょうね。地域は、誰でも言うように、とにかく優しいというか暖かというか・・たとえば、車ですれ違っても挨拶するんです。こんな習慣を経験した事が無かったので、最初はとても驚きました。まっすぐ前を向いて運転しなきゃ事故を起こすだろ?ってね。でも皆平気で、運転手同士が手を振って、挨拶するんです。誰が何と言う車に乗ってるのかが、分かってるんでしょうねぇ。

 病院の待合室で名前を呼ばれるのを待っているときには、全然知らない人から、「何処から来られました?」などと話し掛けられます。調子に乗って話してると、もう話が二転三転、話が話を呼んで、とんでもない話題で盛り上がって行くんです。そこに次から次と話し好きが集まってきて、ペチャクチャオシャベリの大合唱。 年配の方に話し好きは多いですね。それにしても全然知らない人同士がですよぉ!30分も1時間も大笑いしながら、オシャベリしてるんですよ。なんという民族なんだ!? だから、たまに飲み屋さんなんかに行ったら、もうそれは大変です。とにかく話はとめどなく続くのです。勿論どこの誰だか全然知らない者同士で・・。結局最後まで相手の名前が分からないまま家に帰ったりしてます。

 会社は、これもだいぶ都会とイメージが違います。横浜にいた頃は、会社の延長に家庭があったような気がするんですが、こちらでは、「家庭の延長上に会社がある」そんな感じでしょうか。冠婚葬祭は、本人にそれほど縁のないような場合でも、会社を休んで参会しても文句は言われません。子供の学校行事や各種大会の応援なども、会社を休んで当たり前。地域に根付いている会社と言えば言えるかもしれません。横浜では考えられませんでした。


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