^

くまの棲むまち

白神を行く

2001年8月14日朝、僕たちは白神山地に連なる山々の中の頂上の一つ、“二ツ森”を目指して歩き始めました。前日から私の家族と友人家族合計8人で、白神のふもとの八森海岸にテントを張って準備をしていた。

この登山は、昨年から計画を立てていたのだが、目的の一つに「外胚葉形成異常」という難病を持つ小学校5年生を『頂上に立たせたい』という無謀な目標があった。

白神山地は知っての通り、世界自然遺産に登録されたブナの原生林のすばらしい山だ。危うく観光道路の工事でズタズタにされるところを、秋田、青森両県の有志が立ち上がって、10年以上の説得の上、なんとか保存にこぎつけた。それほど魅力あふれる山々なのである。

白神の危機

話は余談になるが、白神山地が自然遺産に登録される前の状況に少し触れておきたい。白神山地のふもとに住むマタギたちは、『白神には神がいる』と口をそろえて言う。一方漁師は『白神の水が、ハタハタを育ててくれる』、『豊漁を願うから、白神の山を大切にするんだ』と言う。山に住む者と海に暮らす者の気持ちが一つになって、観光道路開発阻止に立ち上がった。北に隣接する青森県の住民の思いも同じであった。

家の窓ガラスを割られたり、勤務先を解雇されるなどの露骨な妨害にも屈せず、反対運動は続けられ、やがて当時の秋田県議会議員を動かした。観光道路開発断念が決定したときには、すでに17年の歳月が過ぎていた。世界遺産登録の直前、ヨーロッパ各国から研究者が訪れ、白神を視察したが、異口同音に「これほど自然のままでブナが保存されている場所は、他には無い」と驚きの声をあげた。

白神山地が世界遺産に登録されるまでに、周辺地域の努力は大変なものがあった。白神の説明はこれくらいにして、とにかくこの白神に元気を分けてもらおうと、私たちは出かけた。

二ツ森山頂をめざす

いよいよここから、徒歩で頂上を目指します。子ども達と私のママが先頭です。難病のH君のために、水を入れたタンクをザックに入れ、それをお父さんが背負い後に続きます。そう、H君は自力で体温調節が出来ない難病と闘っているのです。時々全身を水で冷やしてあげまがら登ることになります。そんな苦労や危険をも厭わずに、登山に賛同してくれたH君とお父さんお母さん、素晴らしいご両親です!

アップダウンのある山道を、ゆっくりゆっくり進みます。獣道のような状態でした。あたりに見える木々は、ほとんどがブナです。この辺は原生林というよりも、雑木林のような感じがしました。標高が高くなるとブナ林はなくなりクマザサの間を進むようになります。

H君のお父さんお母さんも、頑張って登ります。先を歩くH君に、ず~っと声をかけてあげながら、水をかけてあげるタイミングをはかってます。お母さんはこの頃は、目にうっすらと涙を浮かべてました。しんがりを務める私も、痛いほどお母さんの気持ちが伝わってきて、何も言えずひたすら無言で、前を行く友を確認しながら後に続いて登ります。

頂上に立った

標高こそ1,086メートルとそれほど高くない頂上ですが、本当にみんなよく頑張りました。小学校4年生2人、5年生1人、6年生1人。後ろで濡れタオルを頭にかけているのが5年生のH君!素晴らしい努力家でした。H君曰く、『白神には、神様がいるって言ってたけど、こんなに俺を苦しめるなんて、とんでもねぇ神様だな』 彼、強いです。嬉しいです。

朝7時に朝食を食べて、8時から登山に挑戦。頂上には10時30分頃に着きました。山は何も語ってはくれませんが、こちらの心の持ちようでさまざまに語ってくれているような気がします。自然は人を裏切らない。どんなに荒れ狂っても、それは全て私たちの生きる糧になるのだと、勝手に思いました。

人に見留めてもらう事の無い自然の草花も、時には思い出そう。私たちは傲慢にならないように気を付けなくては、謙虚に素直に生きていかなくては・・そんな事を思いつつ一休みしたところで、麓へ向かって下山します。

下山

午後1時頃にはスタート地点のテントサイトに到着。さぞかしH君もグッタリしているのではと思いましたが、さにあらず。帰ってからは、大人の方が少々くたびれモード。それに引き換え、子供達は凄いパワーです。海に入ったりおしゃべりしたり、思い思いに遊びまくっていました!

そして早目の夕飯はバーベキュー!この日のために取り寄せた超高級牛肉と、それに海老や貝の海の幸をふんだんに使って、スペシャル・バーベキューのスタートです。パイナップルやスイカの果物もドッサリ食べました♪ 写真を撮るのを忘れてしまい、気が付けば夜~


Special Thanks