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くまの棲むまち

三浦 美由紀さん En-Link

2019年4月からコムコムに”En-Link”というオフィスをオープンした三浦美由紀さんにお話を伺いました。

 ご存知の方も多いと思いますが、三浦さんの旧姓は高橋さんでした。令和と改元になった初日の5月1日に北海道富良野市で入籍、三浦姓に改元ならぬ改姓されたそうです。まずもっておめでとうございます。

 En-Linkは英語教室と翻訳業務を主な事業としています。三浦さんの隣にいらっしゃる方は、20年以上英語塾の講師をされていた河田みほ子さん。今回は河田さんからもたくさんお話を伺うことができました。ありがとうございます。

 さて、三浦さんですが、お聞きしてみたら小学校の頃は体調不良もあって2~3年ほどは不登校の期間があったそうです。その頃からアメリカ文化に興味を持ち始めていましたが、父親から犯罪等が多く危険な国だといわれ、渡米する勇気は持てずにいたそうです。そんな折も折、小学校4年生のとき「9.11 アメリカ同時多発テロ」が勃発し、テレビ放映された生々しい中継画像を見てしまうことになります。しかし三浦さんは、その画像からアメリカの危険性を感じるよりも、むしろアメリカへの関心が高まり、音楽などアメリカ文化に親しんでいったといいます。その後、鷹巣の教会の牧師さん夫婦のもとで、英会話を習いはじめ、渡米への準備を進めていました。

 そして2003年中学校1年生になり、夢に描いていた渡米を果たします。初のホームステイではミネソタとフロリダに滞在しましたが、滞在中の三浦さんは、ホストファミリーの方と英語で会話ができず、挫折感を味わったといいます。しかしこの時のアメリカの景観、雰囲気、可能性などに、いわゆるカルチャーショックを受けたそうで、何かをしなければいけない。あるいは海外で生活しなけれればいけない。など、まだアクションプランはハッキリしない中、漠然としたものに突き動かされたそうです。

 いったん帰国したのち、2011年東日本大震災の直後、留学のため再びアメリカに渡ります。アパートを借り、自炊しながらカリフォルニア州の"Diablo Valley College"に通い始めました。「あっちの食事だと太るから、米を食べていましたよ」などと振り返っていました。顧みれば渡米への関心が高まったと仰る2001年の同時多発テロから、奇しくもちょうど10年後というタイミングでの留学でした。

 ネイティブイングリッシュを駆使、さらに中国語も話せるようになった三浦さんは、2013年に帰国しましたが、帰国する直前、かつてホームステイでお世話になったフロリダのホストファミリー宅へ、お礼に伺ったそうです。なかなか話が通じずイライラしていた頃のことなど思い出話も出来たのでしょうか。かつて英語で会話ができず挫折感を味わっていた2003年から数えて、こちらもちょうど10年後というタイミングでの凱旋帰国になりました。

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 帰国してから早6年。三浦さんは地域振興局の臨時職員(現在は退職)として働く傍ら、それまでにも増してさまざまな活動を続けています。秋田県の「秋田わくわく未来ゼミ」で県内大学生と高校生との交流を手助けしたり、英語教室は子供向けや大人向け、それぞれを開催したり、ご自身は三味線のお稽古をしたり。そしてとうとう今年は英会話教室と翻訳を手掛ける本格的なオフィスをオープンさせてしまいました。そのパワーには圧倒されますし、三浦さんの取り組みは、周囲からも歓迎され多くの方々との連携も進んでいるようですので、今後のオフィスの発展に大いに期待できると思います。

 オフィスをオープンして、今、周囲の皆さんに一番伝えたいことはどんな事ですか?とお聞きしたところ、三浦さんは「インバウンドが増えている中、海外との交流で、子ども達の視野が広がります。そのことに大人も気づいてもっともっと応援してほしいと思っています。」と仰っていました。きっと英会話を入口に多方面に活動が広がっていくことと思います。正直なところお話を伺っているうちに、私が気合を入れてもらったような感じでした。4時間にも及ぶ長い時間、実体験に基づく沢山の刺激を頂きました。本当にありがとうございました。2019.4.10

2019年4月15日北鹿新聞記事:「コムコムの起業ブース / 女性2人が出店」


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