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僕が都会脱出を夢見るようになったのは、1985年頃からだったと思う・・・

 この頃の僕は、当時の言い方で言わば“企業戦士”のような人間。仕事の出来ない男に何ができるというんだ!とばかり、家庭も体も顧みずに仕事の鬼になっていた。世は下克上の世界、イットキたりとも気を抜いては後塵を拝することになる。業績は右肩上がりじゃなくてはいけない。停滞は後退と同じだ。体のムリが利く時期に、人生の基礎固めをしなくては、あとあと後悔することになる。人より早く走るんだから、風当たりが強くて当たり前・・・・・。とにかく走り続けることで、自分を安心させていた感がある。

 気が付いてみれば、家族との団欒とはほとんど無縁な状態になっていた。子供が僕に向かって愛想笑いはするし、ママも知り合った頃に比べて、輝きが無くなってずいぶん物静かな人になっていた。それでも、一家を守るお父さんとしては、これが世の父親の当たり前の姿。家族にはママを通じて分かってもらえているはずだ、いや分かってもらわないと困る。何かがあれば俺が何とかするんだから、黙ってついて来い・・・などと自分勝手な考えをしていた。うぬぼれもあったように思う。

『あれ?このままでいいのかな?』そんなことを考え始めたのが1984~1985年頃のこと。これじゃ仕事と家庭とのバランスがおかしいのじゃないか?家庭に漂うドンヨリしたムードはもしかしたら僕のせいなのかもしれない。そんなことを思うようになり、よ~く周囲の家族を見回してみると、ここにもあそこにも、我が家と似たような生気の無い家族が多いことに気づいた。

子供の授業参観には一度として顔を出したことの無い父親。
それぞれが孤立しているかように、挨拶や笑顔の無い近所づきあい。
休日には出来るだけ遠くのレジャー施設に出かけようとする家族。
友達と伸び伸び遊ぶことの苦手な子供。

 いつも家庭と地域と学校と、そして傲慢なパパとの間で、板ばさみで苦しむママ・・・・本当に済まなかった!他の家族はどんなライフスタイルで生活していても何も言えないが、せめて僕の家族だけはできる限り望ましい家族にするべく、僕が責任を負わなくては!今まで何と多くのことを犠牲にしてきたんだろう。今からでも遅くはない。もっと家庭を大切にしよう、家族と一緒にいる時間を、もっと増やそう・・・そう思って始めたのがキャンプだった。

 この時の心境の変化は、何処から来たものなのか?年を重ねた結果か?それも原因の一つではあるだろうが、結局は仕事のつまずきから、一歩退いた目で、自分と自分の家族を見ることが出来るようになったのが一番の原因じゃないかと思う。今までは思い通りに仕事ができた。収入も保証されていた。小金も貯めた。そこで図に乗って、会社を興し傲慢な経営者になってしまった。仕事が終わると決まってスナック通い。取り巻きのお姉さんがチヤホヤする。同行した得意先の人も、どこまでも僕を持ち上げる。 いつの間にか初心を忘れた腑抜けになっていた。さしたる経験も苦労も無しに、そうそう簡単に会社経営ができるわけはない。気が付けば徐々に人は去り、声をかけてくれる人もいなくなった・・・・

 『しまった!』と思ったときは既に時遅し。ここにきて、今までのツケを支払わなければならなくなったのである。取引先に頭を下げ、金策に走る辛い日が多くなった。最後のふんばりも効かず、やがてとうとう会社の閉鎖を決断することになった。

 このときは自分の無力さ、無知を知り、言いようのない孤独感に襲われた。この孤独感と挫折感でズタズタになってしまった僕を、いつも気遣って癒してくれたのは、ママと子供達。そう!家族だった。愛想笑いをしていた子供達も、静かな人になってしまったママも、実はいつも僕を意識していてくれたんだ。ただ僕がそれに気づかなかっただけなんだ。バカだった・・・・
未熟な僕のそばに、ず~っといてくれていた家族に対する感謝。それがこの心境の変化をもたらしたのだと思う。今思えば、このキャンプを始めたことによって、『都会脱出』の思いが徐々に硬いものへと変わっていったんじゃないかと思う。

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